SHUSAK

ぼくのかわいい

きりや·2,379·投稿 2026.04.23·更新 2026.04.23

 黒猫を飼い始めた。  名前を考えている間に呼んでいた「きみ」を覚えてしまったから、この子の名前はキミである。呼びやすいのかそうでないのか。分からないけど喜んでいるなら僕は構わない。性格は猫らしく気まぐれで、何を言わずとも隣で丸まっていることもあれば、幾ら呼んでも近寄ってこない日もある。それはご飯の時でも同じで、気分じゃなければ物陰から出てすらこないのだ。ちゃんと食べてるのかなと心配になるが、大学から戻ると少し減っていたから大丈夫なんだと思う。  今朝は雨だった。一限しかないのに土砂降りの中を駅まで歩くのがどうにも怠くて友人に出席確認をお願いする。了承の返事が届いた携帯を枕の片隅に投げ、もう一度寝ようと壁に背を向けた。そこにはキミの姿。珍しくお行儀良さげに香箱座りなんかして。どうしたというんだろう。じっ、と体と同じ黒の瞳孔が僕を見据える。 「どうした?」  反応はない、というより微動だにしない。まるで置き物だ。  ほんの少しだけ不気味に感じて辺りを見回してみる。よく猫は何もない場所を見つめるなんて言うから。虫はいないし、揺れるものがあるわけでもない。本当に何をキミは見ているんだろう。猫と人間じゃ認識できる色が違うらしいし、僕の服に興味でもあるのかな。僕の部屋着、赤のTシャツと緑のハーフパンツ。季節外れの組み合わせなのは家に僕一人だから。外ではもちろんもっと気を遣っている。 「キミ、僕の服が不思議なのか?」  驚かせないようにゆっくり上半身を起こす。意地でつけないエアコンの代わりに首を振っている扇風機の生温い風が腕を掠める。すると、待ってましたとばかりにキミが僕へと飛んできた。見た目よりも軽いとはいえ突然のことにバランスを崩す。強かに頭を壁にぶつけてもんどり打つ僕を不思議そうに見下ろすキミ。 「痛い」  呻き声が六畳のリビングにこだました。  *  テスト期間が始まる。次に留年したら仕送りを止めると散々脅されたため、友人を誘って構内にある図書館へ。ノートを見せてもらいながら黙々と出題範囲をまとめる。ちなみに僕は文学部に所属する哲学徒だ。ノートに並ぶ著名な思想家や哲学者の名前をなぞっては考える。僕はどうして哲学科を選んだのだったか。  そうだ、思い出した。学部のガイダンスを受けた時に二つ隣りに座った女の子。あの子が哲学科に進みたいとはにかんでいた。そこから興味を持って僕は“哲学”なんて答えのない道に進んだのだ。あれからあの子を見ていないけど結局はどうなったんだろうか。できることなら仲良くなりたかったのに。 「手、止まってんぞ」 「あ、うん」 「なんだよ。歯切れ悪いな」 「ちょっと考え事してた」 「へぇ、珍しい。聞かせろよ」  逡巡して、正直に話す。あの子と出会ったガイダンスのこと、特徴、覚えていること全て。この友人は意外に顔が広いし、もしかしたら友達の友達の友達くらいは縁がありそうだ。一通り話し終えると、友人は苦しげに眉の間を顰めて携帯を取り出す。暫くフリック操作をしたかと思えば、突きつけてきたのはニュースの画面。  ――六月二十日未明。××市○○町の山中から首のない死体が発見された。死後数年が経過していると見られ、DNAによる身元確認の結果、△△△△さんと判明。警察は現在も失われた首を捜索している。―― 「うへぇ、何これ」 「最近あった事件だっつーの。つか、文章よりも写真見ろって」 「あ」  四角く切り取られた青を背景に笑う黒髪の女生徒。間違いない、高校の制服に身を包んだあの子だ。話した時は巻き髪だったけど、本来はストレートらしい。毛先に癖のある僕の髪を素敵だと褒めてくれたから変だと思った。なるほど、そうだったのか。殺されちゃったのか。美人薄命って本当にあるんだな。 「ビンゴ?」 「うん」 「はぁ。お前の家こっちの方面だろ?夜とか気をつけろよ」 「ありがと。気をつける」    *  テスト最終日、家に帰るとキミは居なくなっていた。隙間も戸棚も全部調べたけれど見つからない。こんな事になるなら首輪でもつけてやれば良かった。もしも僕がいない間に何かに引っかかったらと思うと怖くて買えなかった僕の愚かさを恨む。あれは飼い主としての責任の証。キミを見つけられないのはそれを怠った罰だ。  リュックを玄関へ投げ置いて、施錠もそこそこに蒸し暑い夏の外へ飛び出す。走りにくい薄っぺらなサンダルでもつれながら足を動かす。キミが好きそうな場所、隠れられそうな場所。暗くて細い路地には携帯のライトを当てて名前を呼んだ。自分でも驚くほど必死に。  ふと顔を上げると隣町との境目に立っていた。すぐ右手には中途半端に舗装された山道。脇には膝くらいまで伸びた草が生い茂っていて、昼間の草いきれの熱さを想像させる。虫も多そう。できることなら入りたくはないが、ここにキミが潜んでいないとも限らない。意を決して右足を一歩。次いで左足で二歩目。ライトをつけた携帯を咥えて、空いた両手で草を掻き分ける。  何分そうしていたのか。ぐるぐる動き回って諦めてしまいたくなった頃、指先がふわりとした毛に触れる感触。周りの草を大きく開きながら不明瞭な発音でキミと呼ぶ。光の中に浮かび上がった頭に安堵して、怖かったろうと優しく撫でる。 「もう大丈夫だから。帰ろうね。」  声をかけてから抱き上げる。猫は水が嫌いだと聞いたけど、今夜は覚悟してもらわねばならない。なんたって連日の雨で地面はぐちゃぐちゃ。その上、どこをどう歩いてきたのか泥以外の汚れもついている。我慢できたらご褒美にうんと良いご飯とキミに似合う首輪を用意するから、そう言うとキミは降参するように僕の胸に身を寄せた。    黒猫を飼い始めた。それもとびきりの美人のだ。  名前を考えている間に呼んでいた「きみ」を覚えてしまったから、この子の名前はキミである。  僕は未だにキミの声を聞いたことがない。


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きりや

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