故郷に沈む
小中高と、校歌で多摩川を讃えてきた。川崎市の公立校なんてどこもそんなもんだと思う。郷土教育では、多摩川が環境汚染から立ち直って鮎の住める川になった話を聞かされる。治水がうまくいったという歴史についても語られる。 ふーん、と聞き流してはいたものの、多摩川には郷土愛のような感情を抱いている。神奈川県に帰属意識はないのに、多摩川にはある。 大学生の時、親元から離れて、市内でひとり暮らしを始めた。コンビニもドラックストアもスーパーもあって、飲み屋もあって、住みやすいところだった。何より、数百メートルも歩けば多摩川の土手があるのがよかった。 心にもやがかかって眠れない深夜、スマホと家の鍵だけ持って散歩に出かけた。ローソンのカフェラテを買って、ろくに見えやしない星を見上げて歩けば、そこは多摩川の土手だ。 石階段に腰を下ろして、あたたかいカフェラテを啜る。水が流れていくのをただ眺める。月が水面に反射しているのをただ眺める。……たまに通る車のヘッドライトがちょっと邪魔だったかも。ひたすら水音を聞いて、気が済んだら帰る。心地よい、ちょっとした非日常。 同棲をするにあたって、多摩川から離れたところに引っ越した。代わりに多摩川の支流だか、用水だか、そんな感じのやつが近所に流れている。 私は夜の散歩をやめた。護岸工事のされたドブ川になんて興味がないから。 私の還る場所はあくまで多摩川なのだ。
WRITTEN BY
Chelsea軽妙な会話劇、キャラクターの立った物語が好きです。 140字ss、掌編など。
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