蜜入りの嘘はとびきり甘い
嘘には味がある。 甘かったり、苦かったり、あるいは覚悟の味がする。香りだけが強い味もあるし、あるいは一世一代の味(嘘)なんだろうなと思えるものにも時たま出会う。 「ーー君が、最強の嘘発見器?」 先輩がそう言いながら部室の扉を開いた瞬間、何故か風が吹いた。漫画みたいだと思いながら私は顔を上げて、逆光を受けるそのシルエットを上から下まで眺めた。その時が初対面だった。知らない人だな、と思った。 「どなたですか?」 「三年の泰川。紙さえあれば嘘か真か、判決を下せるって?」 返事をする前に、彼の顔を無言で三秒だけ見つめた。穏やかそうな顔つきなのに、目が笑っていない。意図的にちぐはぐのその表情には計算高さが宿っていて、これは好きになれないタイプだとすぐ分かる。 合理的で自己肯定感があって、将来何にでもなれそうな人。私の一番苦手な人間だった。 迷惑だと感じていることを示すために、はあ、とひとつ大袈裟なため息をした。 「たしかに、私は嘘が分かります」 「どんなものでも?」 「いいえ。紙に直筆で書かれたもの限定ですし、また嘘の内容が何なのかは分かりません。たとえば、私は高校生男子だ、と書かれた紙があって、それが嘘だとは分かっても、高校生であるところが嘘なのか、男子だというところが嘘なのか、それは分かりません」 「ふむ。十分すぎる」 その物言いに、私は首を傾げた。 「というのは?」 「君は俺の今の困りごとを解決するのに、十分すぎる、と言ってるんだよ」 泰川先輩は、まるで舞台の上みたいにぐるりと円を描くようにゆっくりと歩きながら、喋り始めた。 「嘘みたいな話なんだけど、病弱な妹がいるんだ。もう直接会うことができないぐらい酷くてね、手紙のやりとりを続けてるんだが、最近どうもその内容が気にかかる。せめて妹が俺に対して正直でいるこかどうか、それを知りたい。嘘発見器さんに手紙を見て欲しいんだけど、報酬は何が必要かな?」 「なにも」 「分かった。じゃあ、欲しいものがあったら言ってくれ。ファーストキス以外はなんでもあげるよ」 恋人がいないとは到底思えない輝きを持つ顔面で、自信がないとは到底思えない力ある声で、先輩はそう言った。 「べつに。他の方からも、何も貰ってませんから」 「そう?」 用事は終わったとばかりに先輩はこちらに背中を向けた。どうやら、件の手紙は今手元にないらしい。ちょうど今お腹が減っていたのになぁと、少し残念に思う。 そういえば、と泰川先輩が部屋を出ながら振り返る。 「名前を聞いてなかったな」 「ご存知でしょう?」 「まあね。でもなんていうか、一つの形式的な挨拶として」 「山川優里です」 「そんな感じの顔してる」 私の返事を待たず、先輩は来た時と同じく風のように去っていった。 先輩が再び現れたのは、それから三日後のことだった。 手紙を受け取り、まず文面を確認する。病床にいるにもかかわらず、兄のことを慮るような内容だった。あとは自分の近況についてつらつらと書いてある。体調は先生が言うほど悪くはない。差し入れの本は読んでいて、とても面白いこと。主人公に感情移入できたこと。 手紙を見るに、兄妹仲はとてもいいようだ。 「この手紙、破損しても構いませんか? 具体的には、なくなってしまいます」 「できればやめて欲しいけど、それしかないなら構わないよ。事前に写真は撮ってある」 やけに物分かりのいい人だと思いながら、手紙を手に取った。むしゃり。咀嚼音が室内に響く。この瞬間の気まずさは、何度体験しても慣れることがない。 食べ終えてから、私は顔を上げた。 「肝の座った人ですね。みんな、悲鳴あげたりしますよ」 「予想できてたんだよ。君は依頼者に口止めしてるみたいだけど、なんとなく、皆の閉じられた口から漂う空気みたいなものがヒントになった」 「喋らない人から情報を読み取れるんですか?」 皮肉のつもりで言った言葉に、先輩は当然だとばかりに頷いた。 「ああ。でも手紙越しだとお手上げだ。それで、審判の結果はどう?」 「はい。嘘がてんこ盛りです。この中から真実を探す方が難しいでしょう」 「……やっぱり、そうか」 先輩が暗い顔をするのももっともだった。 さっきの手紙が嘘、だと言うことは。 妹さんは、兄の体調のことなど気にしていない。具合は医者の言う通り悪い。差し入れの本は面白くなかった。あるいはそもそも読めてすらいない。 「これは雑談なんだけど。君はどうやって、嘘を見抜いてるの? 手紙を口にすれば、天啓が降ってくるとか?」 「いいえ。もっと物理的な判定方法です」 私は先輩にぺろりと舌を出して見せた。そこは多分、いつもより少し赤くなっている。 「嘘は、食べると、甘いんです」 「知らなかったな。嘘の味は甘いのか」 「これほど嘘ばかりだと、とっても分かりやすいですね。半分だけ嘘だったり、一文だけ嘘だったりすると、分かりづらいんですけれど」 「なるほど。でも、どこが嘘だってのは分からない? たとえば、手紙の最初の方なのか、最後の方なのか、とかも判別できない?」 「できません。分かるのは嘘の量だけです。大したことないでしょう?」 「とんでもない。十分だよ。俺の目的のために、君は十分だ」 その言葉は嘘ではなかったようで、それから数日とおかずに先輩は部室を訪れ続けた。 会うたびに、手紙の嘘の濃度は下がっていった。アイスクリームみたいだった泰川妹の手紙は、少しずつヘルシーになり、最後にはほとんどただの紙になった。 書かれていることは、他愛無いことばかりだった。昼ごはんが美味しかったこと、晴れで気持ちが良かったこと。たまに、この子は入院中なのだということを忘れそうになるほど、手紙の内容は平凡だった。末尾にはいつも、愛する兄妹へ、と書かれていた。 それでも依然として、嘘は残っていた。食べても食べても、一文程度の嘘の味がした。どの文が嘘なのだろうかとずいぶん頭を悩ませたが、判定することはできなかった。先輩は、まぁ会えば分かるんだから多少の嘘ならどうだっていいさ、と鷹揚だった。推理ゲームをしていたのは私だけだった。そしてその嘘を突き止める前に、終わりがやってきた。 泰川先輩が文字を書く。その紙をちぎる。そこには、「俺は君が好き」と書かれている。 「甘そう。お菓子をくれる気になったんですか?」 「どうかな。食べてみてよ」 「嫌ですよ。今日の手紙のためにお腹を空けておきます」 「その必要はない」 不思議に思って先輩の顔を見ると、珍しく真顔だった。 「妹と面会できることになった。ブラックボックスの中に、懐中電灯を携えて入ることができるんだ」 「会うよりも、こうして手紙を介したほうが、確実に真偽の確認ができますが」 「俺なら妹の瞳を見れば、嘘かどうかなんてすぐにわかるよ。何%ぐらい嘘なのか、なんで嘘ついたのかまで、全部わかる」 そんなものですか、対面コミュニケーションって随分便利ですね。なんて皮肉は言わない。最近の手紙がほとんど真実だとするのなら、妹さんの容態はかなり良くなっているはずだ。今日の久々の対面に、水を差す気にはなれなかった。 「君には本当に世話になった」 そう言って先輩は、一切れのお菓子を置いて去っていく。その切れ端を、食べようとは思わなかった。 それから音沙汰なく一週間が経った。もはや忘れられたものだと思っていたが、先輩はなんでもないみたいに再び現れた。 「久しぶり。寂しかった?」 「甘そうな言葉ですね」 「失礼だな」 もう食べさせてくれる手紙もないはずなのに、先輩は何故か隣に座りぼんやり窓の外を見つめている。 もしかして答え合わせに来てくれたのかな、と思った。 「嘘だった一文は分かりましたか?」 「ああ。ほぼ全部嘘。でも、あの子は『嵐が丘』の主人公には少し共感していたらしい」 「……なんの話ですか?」 突き止めるべき嘘は、一文程度だったはずだ。 「あれ? 気づいてるのかと思ってたよ」 「なんの話ですか」 「あの手紙、妹の手紙じゃないってこと」 私が何も言わないうちに、先輩は笑い出した。私が気づいていなかったことに、気がついたのだろう。ムカついてくるぐらい的確な読み取り能力だ。 「あはは、あれは俺が書いてたんだよ。最初の一通だけは、ほんとに妹の手紙だったけどね。俺たち筆跡似てたでしょ?」 「なんで、そんなことを?」 「自分の気持ちの中の嘘を確かめるため、かな。俺は妹のことを心配してるのか、あるいは妹のいない日々を楽しめているのか、俺はーー」 そこで先輩は言い淀む。続きの言葉に、心当たりがあった。 「妹さんのことを愛してるのか?」 「そうだよ。君も、口頭コミュニケーションが上手くなってきたじゃないか」 先輩は少し寂しそうな横顔で、続きを話す。 「妹はわがままなやつでね。でも居なくなると切ないし、かなり寂しい。それでも毎日は俺なりに充実していて、それそのものに罪悪感がある。どれが嘘なのかわからなかったけど、君は全部が本当だと教えてくれた」 「でも、一文程度は嘘がありました」 「そりゃあるよ。最後にいつも、自分の名前じゃない署名を入れてたんだから」 ふと、最初の頃先輩が、嘘の場所はわかるのかとしきりに気にしていたのを思い出した。分からないと言うと、普通はガッカリするはずなのに、先輩は十分だと喜んでいた。 では、署名以外の、本文に書いてあったことは全て真実だった、と言うことだろうか。 「一文程度の嘘、ね。一文嘘が混じってることを分かりきってた俺にとっては、他が全部真実だって分かるだけで、十分だったんだ」 それ以上、口を挟もうとは思えなかった。ミステリをやってるのは私一人で、先輩は全然違うゲームをしていたらしい。 「一週間前の死に際に、俺は妹のことがとても好きだって分かってる状態で、あの子に会えた。ほんとに助かったよ、嘘じゃない」 それだけ言って、また先輩は舞台の役者みたいに去っていく。その影を眺めながら、私は先週から机の上に残されたままの紙を見た。「俺は君が好き」。 どうせ甘いだろうな。そう思って、口を開けた。 ぱくり。その味は、はたして。
WRITTEN BY
目榎粒子愛についてよく書いています。ミステリもどき、SFのなりそこない、ファンタジー的な小説などなど。 2024 「New me」河出書房新社
感想
感想を書くには ログイン してください。
まだ感想はありません。